Yasaka Shrine
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Yasaka Shrine
疫神社

Yasaka Shrine は「祇園さん」という別名で呼ばれており、古い Kyoto の雰囲気を最もよく残している場所である。
また Yasaka Shrine は全国の八坂社および祇園社の本社でもある。
Yasaka Shrine の祭神はスサノオノミコトであるが、本来は Somin Shorai の奇怪な伝説で知られる Gozu Tenno を祭る疫病除けの神社として始まった。
西楼門をくぐったすぐ先の疫神社は、その信仰を伝えるもので、またの名を Somin_Shorai_sha。
毎年7月に行われる有名な Gion Matsuri も、平安時代に、京の都に流行した疫病を Gozu Tenno の威力を借りて追い払った祇園御霊会が起こりである。
Somin Shorai legend
昔々、伊勢の二見の里に、Kotan Shorai と Somin Shorai という兄弟が住んでいた。
兄の Kotan は豊かで、弟の Somin は貧しかった。
ある夜、何者かが Kotan の家の門を叩いた。
Kotan が門を開けてみると、身の丈が軒に届くほどに高く、異様ななりをした大男が立っている。
顔もまた奇怪で、頭には角が生え、まるで牛を見るようである。
男は、『旅の者だが、日が暮れて困っている。一夜の宿をお借りしたい』と言った。
しかし Kotan は、こんな奴を泊められるかと、ピシャリと戸を閉めてしまった。
次に男は、Somin の家を訪ねた。
Somin は快く男を迎え入れ、食事などを世話してやった。

それから何年かの後に男はまた Somin の家を訪ねて来た。
そして男は Somin 一家に茅の輪を与えて腰につけさせると、
『今夜は家を出るな』
と言い残して去っていった。
するとその夜、村を疫病が襲い、Somin 一家以外は皆死んでしまった。
この男は、Gozu Tenno という悪疫退散の神であったといわれる。
後に、Kyoto の Yasaka Shrine に祭られ、Gion Matsuri の起こりになった。
Gozu Tenno の出自ははっきりとはわからないが、インドの祇園精舎の守り神であったともいわれている。
三重県二見町松下の松下神社の森が、その昔 Somin Shorai が住んでいた所であるとされ、Somin の森と呼ばれている。
Gozu Tenno がスサノオノミコトと同一視されだしたのは、後世になってからである。
A garden lantern of Tadamori

境内中央の本殿の右手前、石柵の中に一基の stone lantern が立っている。
これは、白河上皇が、愛人である Gion_nyogo の屋敷に通う夜道に現れた ghost を、従者の Taira_no Tadamori が組み伏せたという話にまつわる stone lantern で、ghost と思ったのは garden lantern に火を入れに来た老法師だったという。
Tadamori の勇気に感服した白河上皇は、このあと寵愛する Gion_nyogo を褒美にとらせ、やがて生まれた子が、のちのTaira_no Kiyomori であったという。
Yasaka Shrine:The pilgrimage of Kyoto shrine - YouTube
Gion_nyogo_zuka

Yasaka Shrine 南楼門から長楽寺へ向かう参道を円山音楽堂側に右折してすぐ、鉄筋コンクリートの祇園寺の正面右側にあるのが Gion_nyogo_zuka で、
この辺りに白河上皇の寵愛する Gion_nyogo が住んでいたと言われる。
昔は「この地から動かす者には必ず祟りあり」と言われて恐れられ、
手入れされず草の茂った小高い空地だったそうだ。
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