Ichijo_modori_bashi bridge・Seimei Shrine
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Ichijo_modori_bashi bridge・Seimei Shrine
Ichijo_modori_bashi bridge
Ichijo_modori_bashi bridge( Kyoto 市上京区一条通)までは Kitano_Tenmangu Shrine から歩くと30分近くかかるので、Kitano_Tenmangu Shrine 前からバスに乗る。
Ichijo_modori_bashi bridge の場所は堀川通の一角にある。
かつては Kyoto の様々な怪異を彩ってきた Ichijo_modori_bashi bridge も、堀川の縮小とともに小さくなり、今はただ申し訳程度に架かる小橋に名前を残すのみとなってしまった。
だが、legend はその侘しい姿を補って余りある。
「戻橋の鬼女」の legend
源頼光の四天王の一人である渡辺綱が、主人の使いに出た帰り道のことである。
夕闇せまる Ichijo_modori_bashi bridge の上で一人の美しい女に出会った。
綱の胸は高鳴り、女も誘う様子である。
が、ふと川面に映った姿を見れば鬼ではないか。
すると女は、やにわに綱の髻(もとどり)を掴み、「愛宕へいくぞ!」と叫んで空中に飛び上がった。
綱はもがきにもがき、ようやく太刀を抜くと、髻を掴んでいる鬼の腕を切り落とした。
彼が落ちた所は Kitano_Tenmangu Shrine の屋根の上だった。
綱はこれを Kitano_Tenmangu Shrine の加護と考え、御礼に一基の石灯籠を奉納した。
これが今に残る Kitano_Tenmangu Shrine 中門傍らの石灯籠であるという。
Ichijo_modori_bashi bridge にはこのほか奇怪な legend が多く、戻橋の名も、これより百年ほど前、参議であった三善清行(みよしのきよつら)の死体がこの橋の上で息子の祈りを受け、しばしの間生き返ったという故事による。
また Ichijo_modori_bashi bridge の下には、綱と同時代に活躍した陰陽師の Abe_no Seimei があやつった式神(12体の鬼人形)が石櫃に封じて埋められているとされる。
これは一度発見されたが、恐れて誰も開けようとせず、また埋め戻してしまったそうである。
Seimei Shrine
その Abe_no Seimei を祭った Seimei Shrine が、堀川通に面して Ichijo_modori_bashi bridge の北100メートルほどの所にある。
これは Abe_no Seimei の土御門邸に建てられた Shrine で、社殿の瓦や提灯に、西洋では五芒星紋(Pentagram)と呼ばれ、ここでは晴明桔梗印と呼んでいる魔除けの呪符が描かれている。
Ichijo_modori_bashi bridge 前からは堀川通を南下するバス路線があるので、次はこれに乗って二条城を囲む水郷の北西、Nijo park をめざす。
Seimei Shrine - YouTube
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